Q:数珠がきれたら、どうなるか?
A:当然、一つ一つの珠がバラバラになる。
Q:切れたら縁起が悪いって聞きますけど?
A:その縁起という言葉は、仏教でいう「縁起」の意味と全然違うものになっている。
私は珠がバラバラになっている姿から、知識や情報と同じようなものだと思った。
一つ一つの珠は、仏教に関する知識や情報のようなものだ。
一つ一つは小さな珠でも、きちんと集めれば、数珠(仏具)となる。
では、集めさえすればいいかと言えば、ただ集めるだけでは、それは数珠(仏具)にはならない。
それを数珠(仏具)にするには、珠に通す糸がいる。
一つ一つの珠に「通じる」芯となる糸があるからこそ、珠はつながり、数珠(仏具)となる。
芯を通さなければ、仏様の道具としての数珠は成り立たない。
この芯とは何だろうか?
心だろうか?
経験だろうか?
智慧だろうか?
修行だろうか?
仏道だろうか?
兄弟でお釈迦さんの弟子となったマハーパンタカとチューラパンタカの話を思い出す。
仏教エピソード㉗「賢い兄と愚かな弟」
仏教の智慧は、知恵ではありません。智慧には知恵にない意味が含まれています。知識を詰め込むだけでなく、実践を通して得ていく理解があるからこその智慧。分解すれば彗と心となる慧という字にもそのことが示されて...
もし、数珠がきれても、不安になることはない。
むしろ、そのような出来事からも仏の教えに出会えるよい機会なのではないだろうか。
そして、この出会いも、仏道の歩みの一つ一つなのだろう。
数珠がきれたら、どうなる……???
如何する?
今のあなたは、如何ありますか?
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