先日、お参りの際、お線香についての質問を受けました。
「お線香を立てる時は1本なのか、3本なのか、一体どれが正しいのですか?」
これには正解はありません。
線香とは何?
そもそも線香とは、香を焚くひとつの形状として、加工されたものです。
そして、香を焚くことを、焼香といいます。
よって、お線香に関して問われたら、お焼香に触れないわけにはいきません。
線香を供える事とお焼香をする事は、意味合いとしては同じこと。ですので、お焼香の記事を読んで頂ければ、それが線香に関する質問の、第一の応えになるはずです。
お焼香に関しては、こちらをご覧ください。
以下、補足
「お線香を立てる時は1本なのか、3本なのか、一体どれが正しいのですか?」
「そこに正解はありません。自分の意から表れることですから」ということは、お焼香の記事でも述べさせてもらいました。
ただ、色んな人がやっているその姿・形からは、そこに込められた様々な意味を、それぞれ垣間見る事ができます。
坐禅の時に立てる線香
例えば、私達が坐禅をする時にも線香を用います。この時立てられている線香は一本です。
荒村寺で行っている坐禅会もそうですが、坐禅はずーっと坐っているわけではありません。
必ず区切りがあって、坐禅と坐禅の間には、経行(簡単に言えば歩く坐禅)があります。
その一区切りを数える時に、一炷、二炷、三炷と数えます。1回目、2回目という意味ですが、「炷」という字を使います。
この「炷」は線香の意味なのですが、その理由は線香で時間の経過を量るためです。線香一本分が坐禅一回分の時間、だから一炷、二炷と数えるわけです。
この時の線香は、時間を量るため、ある意味、今でいうタイマーとして用いているわけです。
そのタイマーとしての線香は一つで十分です。むしろ、誤差がうまれにくい時計と違い、線香の燃焼時間は誤差があるでしょうから、二つも三つもあれば、困ることになるでしょう。
この時の線香は、タイマー。だから、本数でいえば、1本というわけです。
法要の際に立てる線香
しかし、では線香を立てるのは、1本が正解というわけではありません。
2本立てることも、3本立てることも、それ以上だってこともあります。
例えば、曹洞宗の法要(法事・仏事などの仏教儀式)の際、導師(仏教儀式の際の中心となる僧)が入ってくる前に、すでに香炉には、線香が二本立っています。
これは迎え線香と呼ばれています。
法要では、様々な準備が終わり、最後に導師が入ってきます。そして、この導師が1本、線香を立てます。この場合、最終的に、3本の線香が立っているわけです。
最初に立ててある線香2本は、お迎えの意が込められた線香。そこに、導師が香を拈じ、最後の1本が加わります。
拈じるというのは、つまむ、あるいは、とり出すという意味です。
また拈という字は、拈提、拈古、拈挙など、禅においてよく使われる言葉でもあります。これは、公案古則(簡単にいえば、禅の問答集)を取りあげ、弟子達に示し、法を説くという意味です。
ですので、拈にはつまみとり出すという意味と、公案古則を取りあげ示し説くという意味が含まれます。
拈香(香を拈じる)には、文字通り線香をつまみ、そしてお供えするという事ですが、それと同時に、他にも込められた意があるのではないでしょうか。
さて、導師のお供えする線香ですが、基本的には、法要毎に線香をお供えします。法要にもよるのですが、法要の座(法要の回数)が増えると当然、お供えする線香も増えていきます。
となると、お線香の数は……、となるわけです。
そして、この数え方もいろんな考え方があるでしょう。
お参りにつき1本だったり、仏さんに対しての法要に1本と故人に対しての法要に1本だったり、法要が数えて三座あるから3本だったり。
迎え線香+お参りの1本だったり、迎え線香+仏さんに対しての法要に……。
他にも、仏、法、僧に対して1本ずつだったり、宗派によっても、地域によっても、家庭によっても、様々な考え方があるでしょう。
数字は一見してはっきりとわかりやすい答え。しかし、そこに正解はありません。
意は漠然と捉えどころがありませんが、しかしそれは、自然と表れているものです。
正解を探そうと心を配らず、どうか安んじて頂ければ幸いです。
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