私達が目、つまり視覚として認識する色。この世の中には様々な色がありますが、その基本となるのが三原色です。
三原色にも、光の三原色と色の三原色というのがあります。
厳密に言えば、細かい色の名前になってしまうのですが、単純にいうと、光の三原色が赤・緑・青の三つ、そして色の三原色が青、赤、黄の三つです。この三原色の組み合わせで様々な色が表現されているわけですが、光の三原色は混ぜ合わせると白、色の三原色は混ぜ合わせると黒になります。
ちなみに自然界の色を全て混ぜると無彩色(白と黒との混合で得られる色=白と黒を含む色)となるらしいです。これは明度の変化のみで白~灰色~黒に見えるようです。
言い換えれば、彩度が0を無彩色というのですが、明度によって白から黒を表現しているわけです。つまり彩度の観点から見ると、白も黒も同じ色ってことですね。彩度を無くせばモノクロになります。
私はphotoshopなどで写真を加工する際に、この色彩や明度をいじることもあって、色について興味を持ちましたが、実に奥が深くておもしろい。とはいっても、難しい話なので、完全に理解しているわけではありません。
私はよく坐禅を無色透明だと表現する時があるのですが、なんだかそれにも通じるような気がします。
私達は何だかんだ言って無色透明な坐禅に対して自分達の色を塗っています。
坐禅の感想を聞けば、本当に十人十色、様々な色の感想が出てきます。全く真逆の感想も出てきます。例えば時間が短かった、長かった。辛かった、ゆったりできた……など。
それも皆さんが坐禅の中で感じた色なんでしょう。私はこの色色を感じることも坐禅の大事。そして、きっとたくさんの色がでてくるからこそ、坐禅は無色透明だと私は感じます。
また、実際、「無色透明ってどんな色なのさ?」って問われても、色として直接表現できない所もそっくりなのではないでしょうか。
色が無いからこそ、無色透明。でも無色透明って皆さん、理解していますよね?
むしろ、無色透明がなければ、説明できないこともたくさんあるような気がします。
きっと、私達「人」の事とか、「心」の事とか、色んな「物」事とか、色々なものに通じているのではないでしょうか。
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