掴もうとしても、掴むことはできない。
しかし、手を拡げたら、そこに納まる。
また、把握すると、こぼれ落ちていく。
掴み所がないかと思いきや、すくうことができる。
捉え所があるかと思いきや、流れていく。
姿形がないわけではない。姿形があるわけではない。
方く、円く。器に応じて、姿形が変わっていく。
凝固もする。
その姿形のまま、長い時間、同じ形を留めておくこともできる。
しかし、凝り固まると、器に納まらなくなってしまう。
気化もする。
姿形どころか、文字通り蒸発して、見ることすらかなわない。
見えなくなったら、何が何だか、わからなくなってしまう。
しかし、そんなありようもまた水である。
そして、その水のありようは、まるで仏法みたいだ。
法という字は、サンズイ(三水)に去ると書く。それは水の流れをイメージさせる。
そんな水のあり方を表す文字が法だということも、きっと偶然ではないのだろう。
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