本を読む時、ページをめくる。お茶を飲む時、湯呑みを持つ。お金を支払う時、硬貨をつかむ。
そんな何気ない日常の動作。私達は普段全く気にも留めない。
先日、とある人との会話。
その人は抗がん剤による治療を行っている。抗がん剤という薬には副作用がある。その人の使っている抗がん剤は、主に末端神経がやられてしまう。
指の先や足の先など、端っこにある神経がそぎ落とされていく。感覚が鈍くなり、痺れや痛みを感じる。
例えるならば、常時氷の中に手を突っ込んでいる。そんな感覚らしい。
私は自分の指先を見ながら……想像した。
極寒の地で外出した時のあの感覚?
氷水に手を突っ込んだ時のあの感覚?
自分の経験の引き出しを探り、幾つも想像を巡らした。
指先は、分厚い皮に覆われたような鈍い感覚。それに痺れや痛みが伴う。
何かが当たっていることがわかっても、どんなものかがわからない。力が入っているかどうかもわからない。
持っているつもりが、指先から抜け落ちてしまう。
例えば本を読むと時も、何枚めくっているかがわからない。紙は動かせるが、めくりたいその1ページがめくれない。
例えば湯呑みを持つ時も、力がどの程度入っているかわからない。だから、感覚が残る両方の手のひらを使って、コップを持っている。
例えばお金を支払う時、紙幣一枚が取り出せない。硬貨も、一度手のひらに乗せて、ずらしてやっと渡すことができる。もし落としたものなら、拾うのは至難の業。
ビニール袋も、ティッシュを取るのも、お菓子の封を開けるのも。私達が無意識にやってのけることが、全意識を集中して、やっとできるわけだ。
失ってはじめて、その有り難さ、凄さがわかる。
私達は普段は意識の外側にある、そういう力に支えられて生きている。気づいていようが、気づいていまいが、それは紛れもない事実。
その人との会話は、そんな気づきの会話だった。
追記:苦しみを経た分だけ優しくなれる
2016年3月11日
その方との対話の中で、最後にこのような話がありました。
「確かにお金をとるのも、ビニールを開けるのも大変になった。でもそんな自分の姿を見て、手伝ってくれる人がいる。『大丈夫ですか?』と声をかけてくれる。それが何より嬉しい。
だからもし、自分もそうやって大変そうにしている人を見かけたら、声をかけてあげたい、手伝ってあげたい」のだと。
人は苦しみを経た分だけ、優しくなれると改めて思い直しました。
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