瓶沙王と優陀夷について

本記事は、下記の仏教トークの動画編集後記として書きました。

兵士と信者の言い争い|素晴らしい教えでも使い方を違えば本来の意味を失う
「出典:雑阿含経巻第17-485」大事なことを伝えたい。でも私の伝えたい事を理解しようとしてくれません。世の中の人達は、理解せずに言い争い、互いに否定しあうネタにしてしまう。どんなに素晴らしい教えも道具も、使い方を誤れば本来の意味を見失う。

登場人物「兵士と信者」に関して

仏教トークの中で登場する人物の中に兵士と女性信者がいます。

「原文をみてもそれにあてはまるような登場人物がいない!」と、もし気づいた方がいらっしゃた時の為に補足として書いておきます。

この記事では「兵士=瓶沙王」「優陀夷=女性信者」に当てはめて書いています。

瓶沙王

上記の漢文に於いては「瓶沙王」と王族のように書かれています。しかし、国訳一切経の注釈によれば、こちらはパーリ語で書かれている経典には「舎衛城の一士官」となっているようです。

漢文で書かれている経典は「阿含経」、パーリ仏典は「ニカーヤ」と呼ばれていますが、どちらも同じ内容のお経です。違う言葉で書かれただけの違いです。

仏教エピソードで用いた経典について
阿含経とニカーヤ、ウダーナヴァルガ、法句経、正法眼蔵随聞記、スッタニパータ、涅槃経についての簡単な説明

舎衛城とは古代インドの国の一つ、コーサラ国の首都の事です。

お釈迦さん ゆかりの地
経典に出てくる地名を地図にしました。

首都の一士官となると、首都の防衛にあたっていたのでしょうか。それとも警察のような役割だったのでしょうか。治安の維持にあたっていたのだろうか。それとも門番みたいな役割だったのだろうか……。色々想像を巡らせました。

そういう想像から、結局門番の兵士長くらいのイメージが私の中で固まったので、そのまま、門番の兵士をイメージしてイラストを用意しました。

「王と兵士では、全然イメージがちがうではないか?」と思われるかもしれません。しかし、王族も武士も兵士も戦士も、当時古代インドであったカースト制度があてはめれば、クシャトリヤの身分になります。

サンスクリットから漢文に訳された経典では「王」と書かれ、パーリ原典では「一士官」なのは、そういった理由もあるのだろうと思われます。

真偽のほどはわかりませんが、私は「瓶沙王=一兵士」として扱わせて頂きました。

優陀夷

こちらは完全に私のミスリードによるものです。優陀夷と優婆夷を読み間違えました。

原文にある「優陀夷」は、お釈迦さんの弟子の一人です。パーリ語やサンスクリット語で読むとウダーイと読まれます。

ウダーイという名前は経典の中でも非常に多く存在する為、ナンダという名前と同じく、人物の特定が難しいと思います。

ちなみにウダーイという名の弟子の中には、勧導第一の弟子と称される弟子もいます。仏の教えを勧めて導くのが上手だったのでしょう。

このように○○第一という異名を持つ弟子がいます。十大弟子とも呼ばれる弟子には、それぞれ○○第一と称されています。「サーリプッタさんは智慧第一」「モッガラーナさんは神通第一」のように。

しかし、この十大弟子は全部で十人というわけではありません。十大弟子と称され、○○第一と称される弟子はたくさんいます。

なぜなら、後世の人がそれぞれ十大弟子と考える人が異なっているからです。人によって「推し」の十人が違うのです。

サーリプッタさんとモッガラーナさんは必ずと言っていいほど、誰もが十大弟子の中にランクインさせますが、その他の弟子たちは、場合によっては十大弟子入り、場合によっては十大弟子の中に入っていないのです。

なので、あまり十大弟子というのは考えない方がいいでしょう。ただ、○○第一と称されるものは、その人の個性や特徴を表す一つと捉えてもいいのではないでしょうか。

優婆夷

優婆夷(うばい)というのは、女性の在家信者を指す言葉です。

  • 比丘=男性出家者
  • 比丘尼=女性出家者
  • 優婆塞=男性在家信者
  • 優婆夷=女性在家信者

これら合わせて、サンガ(僧伽)と言います。僧の語源ですね。


「優陀夷=ウダーイ」と「優婆夷=女性信者」を読み違えてしまいました。

投稿後に気づいたのですが、イラストも既に女性信者で描いてしまったため、このままにしておきます。訂正はできませんが、注釈補足はさせて頂きます。

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