慈然智彰

仏教トーク

指摘する側・される側の心得|サーリプッタとお釈迦さんの会話

人の過ちを指摘するとき、また指摘されるとき——何が自分の支えになるのか。サーリプッタとお釈迦さんの問答(雑阿含経)から、指摘する側と受ける側、それぞれの心のあり方を一緒に考えます。
禅僧ちしょうの棚

読経・木魚についての雑学|経典を自作して学んだ事

読経はなぜ声を合わせて読むのか。木魚はなぜ魚の形なのか。お経の暗唱から始まった読経の歴史と、経典を自作したことで見えてきたお経の伝播の奥深さをたどります。
法の種

無記とは何か——お釈迦さんが「答えなかった」理由を考える

知識は使い方次第で争いの種になる——お釈迦さんが無記を選んだ背景には、そんな洞察があったのではないか。仏教トークのあとがきとして書いた、無記をめぐる考察です。
法の種

動画編集後記「動画の編集順について」

「出典:雑阿含経巻第15-389」仏教の基礎の教えの内の一つ「四諦」。この四諦のたとえ話である「良医のたとえ」は知る人ぞ知るお話です。
仏教トーク

兵士と信者の言い争い|受は二つか、三つか、それとも——

「受(じゅ)は三つ」「いや二つだ」と言い争う兵士と信者が、お釈迦さんに直訴します。お釈迦さんの答えは一つでも、無量でも——。雑阿含経第485経をもとにした会話形式の仏教解説です。
法の種

私にお葬式・供養の意味を与えてくれたおばあちゃんの話

私が高校生の頃に祖母おばあちゃんは亡くなった。私にとって初めて身近な人を亡くした時だ。それまでの私にはよくわからなかった。お寺で生まれたがよくわからなった。「どうして供養をするの?」「供養って何なの?...
法の種

動画編集後記「言葉の隙間に潜むメッセージ」

仏教エピソードでも、仏教トークでも、動画でも必ずこの話から作っているぐらい、私はこのお経の話が好きです。
仏教トーク

葉っぱから学ぶ仏法の伝え方:言葉で伝わることと伝わらないこと

お釈迦さんが手にした一枚の葉を通して、言葉で伝えられる仏法と、まだ伝えきれない仏法の違いを弟子と語り合う。点と点をつなぎ、学びを深める視点を紹介。
仏教トーク

第二の矢のたとえ|仏弟子と凡夫の違いを会話で学ぶ

花を見て「欲しい」と思う。その次に何が起きているのか。雑阿含経が説く「第二の矢」のたとえを通して、凡夫と仏弟子の心の働きの違いを、会話形式でたどります。
仏教トーク

風の感覚でたどる、仏教の四諦の教え

風が吹けば、ある人には心地よく、ある人には不快です。この「受」の風から、苦諦・集諦・滅諦・道諦をたどります。雑阿含経をもとに、自然のたとえで四諦の教えを考えます。
法の種

数珠が切れたら縁起が悪い?——禅僧が珠と糸から問い直すこと

数珠が切れると縁起が悪い——その「縁起」は仏教の縁起とは別物だ。珠をつなぐ糸とは何か。知識と智慧の違いを、禅僧が数珠を手がかりに静かに問います。
仏教トーク

すべては燃えている|煩悩の火をお釈迦さんの対話から考える

弟子たちの言い争いを通して、お釈迦さんが説く「一切は燃えている」の意味に触れます。眼・耳・心、日常に潜む煩悩の火に気づきながら、そのやり取りをたどります。
Buddhist talk

Exhausting Kleshas: Lessons on Practice and Awakening from a Hatching Chick

This article explores how Kleshas (煩悩) are exhausted through practice, using the metaphors of a hatching chick and a master lumberjack, based on Saṃyukta Āgama Sutra 10-263.
仏教トーク

前世の『業』の話はやめなさい|仏教でいう<業>とは習慣の力

前世の話や宿業に心が向いていませんか?仏教で説く<業>は、前世や宿命の話ではなく、私たちの行為や日常の習慣そのものを意味します。雑阿含経をもとに「世間の業」と「仏教の<業>」の違いを整理し、習慣としての行為がどのように私たちに影響するかを解説します。
法の種

夏の訪れ

今年も暑くなってきた。日差しも強い。梅雨入り宣言から、だいぶ日にちも経ち、ようやく今シーズンの花粉症とも、おさらばだ。庭の雑草も、つい最近まであんなに小さかったのに、ちょっと見ないうちに、かなり背が伸...
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