「仏」って知っていますか?
もし、外国の方に「仏って何?」と問われたら、どのように答えますか?
私達が使っている言葉について、いざ問われると、「なんとも漠然としているなぁ」と感じることありませか?
私はあります。もともと仏教用語だったものなんか、特にそうです。
今回の記事の「仏」もそのうちの一つです。
大学生の頃、はじめて「仏って何?」と考えるまで、これだけたくさんの意味があるなんて想いもしませんでした。
ここでは、元々の意味、そして私が勉強する中で知った「仏」という言葉に込められた様々な意味を簡単にまとめてみました。
仏=目覚めた人
目覚めた人。仏という言葉は、元々そういう意味で用いられていました。
古代インドの言葉であるサンスクリット語では「Buddha(ブッダ)」と言い、漢字で音写され「仏陀」となり、それが「仏」と呼ばれるようになりました。
「目覚めた人」といえば、2500年前の古代インドでは、お釈迦さん(本名、ゴータマ・シッダールタ)がそう呼ばれていました。
目覚めた「人」というように、お釈迦さんは歴史上実在した人物ですが、実はお釈迦さんは近年まで、その存在すら疑われていました。
1896年、ネパールのルンビニで、マウリヤ王朝のアショーカ王の石柱が発見され、そこには、「この地がお釈迦さんの誕生地であり、巡礼に来た記念に立てた」と記されていました。
また1898年には、ネパールのピプラーバーにて、イギリス人のブッペという人が、舎利壺を発見。そこにはインドの古代文字で、「仏陀の舎利壺は妻子姉妹とともに、 釈迦族の同胞が信心をもって安置する」と書かれていました。
この発見が仏典の記述を実証することになりました。
更に仏典や考古学の研究が進むにつれ、初期の仏教経典がかなりの事実を伝えていることがわかってきました。
この二つの考古学的発見から、お釈迦さんが実在の人物であることが証明されています。
仏? 仏陀? お釈迦さん? ゴータマ・シッダールタ?
いろんな単語が出てきてややこしいので少し整理してみましょう。
仏教の生まれた約2500年前の古代インドでは、ブッダは、目覚めた人という意味、つまり悟りを開いたということで、すぐれた修行者や聖者に対する呼称だったと言われています。
おそらく、古代インド人の中でも、こんな会話もあったんじゃないでしょうか。
「すぐれた修行者(ブッタ)がいるらしいぞ」
「一体どんな人だろう?」
「どうやら釈迦族出身の人らしいぞ」
釈迦族出身の人ということで、そこから「釈迦」と呼ばれるようになりました。
今でいうと、所属先の名で呼ばれるような感覚でしょうか。私だと、お寺の名前で、荒村寺さんと呼ばれるようなものでしょう。
また、お釈迦さん、お釈迦様、釈迦牟尼、釈迦牟尼仏や釈尊など丁寧な呼び方もされるようになりました。
ちなみに私個人としては、お釈迦さんと呼ぶのが一番しっくりきています。(理由はこちらに)
歴史上実在していた人物である本名ゴータマ・シッダールタさんは、お釈迦さんともよばれ、また目覚めた人という尊敬の念の意味を込めて、ブッダ(Buddha)とも呼ばれていたわけです。
「仏」に様々な意味が含まれていった。
ここまででも様々な呼称、単語が出てきてややこしいのですが、実は「仏」という言葉は、上記のような意味から、2500年の時代を経ながら、どんどんその意味が拡大していきました。
学問として仏教を学ぶとそのあたりの分類の仕方も勉強します。ざっと紹介したいと思います。
過去七仏、未来仏、三世十方の諸仏
例えば、原始仏教の時代においても、仏はお釈迦さんだけでなく、他に過去七仏や未来仏といった様々な仏を示す言葉として使われています。
最初はお釈迦さんに対する呼称として仏と言われていたのですが、お釈迦さん以外にも、仏はいたはずだということで、過去七仏が説かれるようになりました。
お釈迦さん自身も「自分はただ古道を発見しただけ」と言っています。昔からその道を歩んでいた先人たちはいたはずだと。だから過去七仏という考え方もできたのかなと私自身は考えています。
そこから過去もあるなら、未来もということで、未来仏がでてきたのではないでしょうか。
皆さんは、弥勒仏(マイトレーヤ)という仏さんを聞いたことはありませんか?
弥勒さんは未来仏と言われています。もちろん未来仏は、未来の話なので、史実とも関係ないし、過去仏も本当にいたかはわからないわけですが、このように様々な仏が登場してきました。
そして過去・現在・未来(三世)のみならず、四方八方上下(十方)合わせた至る所の仏さん達、要するに、いろんな世界にいろんな仏さんが登場してきます。
阿弥陀仏と聞けば、皆さん知っていると思いますが、阿弥陀さんもそうですね。
ちなみに、上座部仏教と呼ばれるスリランカやタイに拡がった仏教では、仏と言えばお釈迦さんを指します。
しかし、大乗仏教と呼ばれる中国や日本に拡がった仏教では、仏はいろんな仏を指します。
同じ仏教内でも、「仏」に対する認識には違いがあるわけです。
三身説
また分類でいえば、三身説と呼ばれるものを聞いたことはあるでしょうか。
これも「仏」の意味の分類を示すものですが、法身、報身、応身の三つです。
法身
法の身体と書くように、仏法を人格化した仏さんを指します。
禅宗では十仏名を唱える事があります。例えば葬儀の時にも唱えます。
清浄法身毘盧遮那仏(しんじんぱしんびるしゃーのーふー)と毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を唱えています。
大日如来と言った方が聞いたことがある人が多いかもしれませんが、毘盧遮那仏は大日如来の事です。
ただ、大日如来と言った場合、後に説明する報身として考える捉え方もあります。
報身
受用身、等流身という呼び方もありますが、報いを受けて仏になった仏さんというのがわかりやすいでしょうか。
修行や必ず成し遂げようと誓う願い(誓願)を成し遂げて、その報いとして理想的な仏になったと言われる仏さんです。
有名どころでいえば、阿弥陀仏、薬師如来といわれる仏さんがいます。
応身
皆に教えを伝えるため、人間の姿を仮りるなどして、この世に現れた仏さんのことを指します。
要するに、歴史上のとある場所、とある時代に現れた仏ということで、お釈迦さんもその中に含まれます。未来仏の弥勒仏もいつかそうやって、特定の時代に現れるので、応身に含まれます。
このように法身、報身、応身と分類できるように、仏という言葉の意味にも様々な捉え方が有ることがわかります。
如来十号
仏以外にも、同じような言葉で如来という言葉を聞いたことがあると思います。
如来は修行を完成させた者という意味で、最初はお釈迦さんの呼称として用いられることが多かったのですが、後に上記の諸仏の呼称にも使われ始めました。
実は、そのような呼称は他にもいくつもあります。それを合わせて如来十号という言葉もあります。
如来・応供・正偏知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、十といいながら、実は十一あるんです。
もちろん、それぞれ意味はちゃんとあります。
さすがに一つ一つの言葉の意味を説明するのは大変なので、今回は省きます。
要するに、色んな意味で使われるようになった「仏」の意味を理解したいのであれば、これらの事のチェックも欠かせないでしょう。
例を挙げればきりがない……
他にもたくさんあります。
例えば、厳密には違う意味を持っていた菩薩も、仏として捉えられます。観世音菩薩が有名でしょうか。
他にも例えば、仏弟子。史実としての話の中でもでてくる、お釈迦さんの弟子を仏と捉えることもあります。
また法身にも触れましたが、その意味合いも含めて、「仏」という言葉が「法」と同義で捉えられることもあります。
このように、言えばきりがないほど、仏という言葉には、たくさんの意味が込められるようになりました。
それに加えて、日本では仏を死者を表す言葉として用いることもあります。その理由は「ほとけ」という呼び方にも一因があるという説もあります。
なぜ日本語で仏陀を仏ほとけと呼ぶのか?
日本語では、仏陀を略して仏ではなく「仏」と呼びますが、その様に読んだ理由にはいくつかの説があります。
①浮屠家
中国で古く「仏」が浮屠と音写され、それに「その道の人」という意味で家を付けた説
②解け
煩悩を解き放った存在ということからそのように呼んだという説
③癘気
仏教が伝わった時にたまたま疫病が蔓延していたことからそのように呼んだという説
詳しくはわかっていませんが、このような説が挙げられています。
また「ほとけ」が死者の意味を表す言葉となったのは、上記と同じような理由も挙げられています。
中世以降に死者を祀る器として「瓫」というものが用いられていて、それが死者を呼ぶ名にもなったという説があります。
ただ日本では、元々、土着の信仰として先祖をお祀りするという先祖崇拝の考えがありました。
そこから先祖、または死者はそのまま仏だということで、「ほとけ」と呼んだとも考えられています。
まとめ
「仏」という言葉一つとっても、言葉というものは、生き物のようにその意味が変容していくことがよくわかります。
「仏」という言葉は、そういうことを教えてくれる代表的な言葉かもしれませんね。
何にせよ、元々、仏は目覚めた人を意味するブッダという言葉。そして、それは基本的にお釈迦さんという歴史上の人物を指していたということは、語源ということで、頭に片隅にでも置いておいた方がいいでしょう。
想像以上に「仏」の意味の捉えようがたくさんあるので、そう簡単にはまとめられないというのが、今回書いてみてよくわかりました。これ以上は実際にお会いして話すことができればと思います。
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