慈然智彰

仏教トーク

何事にも捕らわれない自由な生き方とは? ナンダの弟子入り物語

『何事にも捕らわれない』とは本当に自由なこと?川を流れる木のたとえと、牛飼いナンダの弟子入り物語を通して、その言葉の意味を見つめます。
仏教トーク

無常って本当に正しい?変化の真実と執着の罠

「変わらないものはない」という無常の真実。日常での気づきや執着の罠を通して、心のあり方を見つめ直すヒントを紹介します。
仏教トーク

正見(しょうけん)とは?|有と無に偏らない“正しく見る”ということ

正見(しょうけん)とは何か?仏教では、物事を「有」や「無」だけで判断せず、偏りなく見ることが大切と説かれます。経典のカッチャーナとお釈迦さんの対話から、その見方をたどります。
仏教トーク

続・琴のたとえ|張りすぎず緩めすぎず、修行で見つける「良い音」とは?

修行をやめたいと思ったソーナさんが、琴のたとえを通して見つけた「良い音」とは?張りすぎず緩めすぎず、毎回の修行の中で道を歩むことの意味に気づく物語。
仏教トーク

琴のたとえ|頑張り続けたソーナの迷い

「頑張っても報われない」と悩むソーナに、お釈迦さんは琴の弦をたとえに語ります。張りすぎても、緩すぎても良い音は出ない——雑阿含経の物語から、仏教の「中道」を会話形式でたどります。
仏教トーク

無明とは?|サーリプッタとの対話

「無明」とは何か。雑阿含経巻第9-251をもとに、サーリプッタと弟子たちの対話を通して、無知と迷い、そして事実に向き合うことの意味を静かにたどります。
仏教トーク

計る病──私たちの心に潜む、考えすぎの悩み

なぜ人は考えすぎてしまうのか。雑阿含経に説かれる「計る」という心の働きから、悩みや争いが生まれる仕組みを読み解き、日常の見方を少し変えるヒントを探ります。
仏教トーク

三脚のたとえで考える「老いと死の原因」|自分のせい? 他のせい?

老いや死の原因は、自分のせいなのか、それとも他のせいなのか。雑阿含経巻第12-288をもとに、弟子たちとサーリプッタの対話を通して、因果を単純に決められないことを三脚のたとえで描きます。
法の種

アナログとデジタル

この間、ふと気になって、デジタルとアナログの違いについて調べてみると、その意味が自分の認識とずいぶん違っていました。その時に思いついたことを書きました。
仏教トーク

アヌルッダの不眠の誓い――失敗から生まれた洞察

説法中に居眠りしてしまったアヌルッダが、不眠の誓いを立てた失敗から洞察を得る物語。2500年前の修行現場のやり取りを通して、日常の学びや気づきのヒントが見えてきます。
仏教トーク

煩悩が尽きるとは?|ヒナの孵化から考える修行と悟り

「雑阿含経巻第10-263」の内容が基になっています。煩悩が尽きるとはどういうことか、仏教の教えをヒナの孵化や木こりのたとえで修行と悟りについてお釈迦さんが説く。動画や英語翻訳も用意しています。
法の種

煩悩とは何ですか?

煩悩を表す言葉は、仏教経典の中に数多くあります。惑・塵労・染汚・随眠・漏・三毒——それぞれの言葉が煩悩のどんな側面を照らしているのか、禅僧がたどります。
法の種

経典上の樹木は実在しますか?「キンスカ、シリサ、ニグローダ、菩提樹」

お釈迦さんが悟りを開いたとされる菩提樹、煩悩にたとえられるニグローダ、経典に異なる姿で描かれるキンスカの木。仏教経典に登場する樹木が実在するのか、禅僧が一つひとつ調べてたどります。
法の種

「ジャータカとは? 」お釈迦さんの前世(?)物語

ジャータカは「お釈迦さんの前世の物語」と説明されますが、前世とは必ずしも生まれ変わりを意味しません。輪廻転生は古代インドの思想であり、お釈迦さん自身は死後の問いに答えていない(無記)。禅僧の立場から、ジャータカと前世という言葉の本来の意味を整理します。
法の種

ザルの知識、大海の智慧

そもそも、海はすくい取ることのできるものでもないのでしょう。ならばそのザルは邪魔なのかといえば、そうではないのかもしれません。むしろ、ザルがあるからこそ、その小さなザルで、大海のありようを感じられるのかもしれません。
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