
托鉢から戻らない小さな弟子に、先輩たちは不安を抱きます。
お釈迦さんの指導や、清らかな龍と小さな龍のたとえ話を通して、私たちの行動や心のあり方、学ぶことの大切さが描かれています。
この物語は、日々の行いや心のあり方が、どのように私たち自身の成長や学びにつながるかを示す物語です。
托鉢から戻らない小さな僧

ただいま戻りました。

あの、すみません。最近弟子入りした若い僧侶、見ませんでしたか?

ああ、あの若い子ですか? いえ。見ていませんね。

托鉢にいってから、全然戻ってこないのですけど……

ただいま戻りました。

遅い! 心配したではありませんか!
一体何をしていたのですか?

え? 托鉢していたんですけど。

もう皆戻ってきていますよ。

僕を手厚く迎えてくれるところがあるので、少し長居をしていました。

あなたはお釈迦さんの弟子になって、まだ日も浅いでしょう。
あまり他人の家に長居するのは、感心しません。

いや、でも……

まだ知らないことが多いのも無理はありません。
しかし、修行道場を離れて、町の家に長居してはいけません。

何故、僕だけなんですか!?
先輩達の中にも、他人の家に入り浸っている人もいるじゃないですか?

残念ながらそういう人が0ではありません。
しかしそれは悪い見本です。

不公平ですよ。なぜ僕だけが怒られないといけないんですか?

他の人達も、ちゃんと注意されています。
しかし、中には聞く耳を持たない人もいるのです。

他にもやっている人がいるんなら、
僕もやっていいじゃないですか。

結果としてあなたを苦しめる行為となります。
それをわかっていて注意しないわけにいかないでしょう。
私はあなたの指導する役を任されたのだから。
相談にのるお釈迦さん
指導役を任された弟子は、お釈迦さんに相談しにいきました。

師匠。ちょっとご相談があるのですが……。

どうしました?

今、私は小さな弟子の指導役を任されているのですが、
一人いう事を聞いてくれない子がいます。
何度も同じ過ちを注意しても「他の先輩もやっている」「なぜ僕だけ!?」と、私の注意を聞いてくれないのです。

それは困りましたね。

彼の為に、師匠から直接指導していただけませんか?

わかりました。皆を集めてください。
他にも話をしたほうがいい者もいるようですし、
皆に説法しましょう。

わかりました。みんなに声をかけてまいります。
お釈迦さんのたとえ話 ― 龍と蓮根
お釈迦さんの説法は、たとえ話からはじまりました。
清らかな龍と蓮根

この天空のどこかに、大きな湖があり、そこには龍がいました。
今日は、その龍の話をしましょう。

龍って本当にいるんですか?
何を食べているんですか?

そうですね。その龍は、蓮の花の根っこを食べるようですよ。

蓮の花きれいだもんねぇ。その根っこかぁ。

蓮の花は、悟りや清らかな心を象徴する華ですから、
その龍は清らかな存在なのでしょうね。

いや、それってレンコンじゃないですか(笑)

はい。レンコンは抜くと泥がついています。
皆さんもレンコンを食べる時、
その泥をきれいに落として食べますよね?

もちろんです。泥も一緒に食べたら、身体に悪いですよ。

そうです。その龍も泥の中にある蓮根を食べますが、食す時は泥を落としてから食べると聞いています。

レンコンを食べる清らかな龍か。かっこいいね。
真似をした小さな龍

はい。そんな清らかな龍にあこがれる小さな龍もいました。
その小さな龍は、自分もあこがれる清らかな龍になりたいと願い、
食事も同じように、レンコンを食べることにしました。

清らかな龍を真似して、同じレンコンを食べるようになったのですか?

はい。ですが、その小さな龍は、レンコンを食べるという真似はしましたが、食べ方までは真似をしなかったのです。
その小さな龍は、泥を洗わずにレンコンを食べ続けました。

ん? どっかで聞いたような話だな(笑)

シィっ! 静かに。

レンコンとともに泥を食べ続けた小さな龍は、うまく消化もできず、力もつかず、日に日に弱っていきました。
あこがれた想いも報われず、身体も日に日に弱っていく。
それは小さな龍にとって死ぬほど苦しい出来事でした。

泥を落とさないなんて馬鹿ですね(笑)
仏道を学ぶ者への教え

他人事ではありませんよ。
仏道を学する私達もまた、同じ食事をとろうとも、その食べ方を誤れば、この小さな龍と同じ結果になるでしょう。

……

私達、僧侶もまた、托鉢を行っています。
早朝に衣を着て、鉢を持ち、街中や集落に赴き、食事を乞います。この時、自分の行動や言葉に気をつけてください。
自分が何故その行動をとったのか、その根っこの部分を観察し、注意深く行動しなさい。

それは僕に対して言っているのですか?

皆に説いています。もし、私の今言ったことを行動に移せていない者がいれば、その者にも話してください。
実践できている者は、ぜひ教えてあげてください。

そうして、教えてくれる人は、大事にしないとね。
自分が怒られているように思ったとしても、ね。
叱ると怒るは違うからね。

そう……ですね。

私達は、様々な施しを頂きます。衣、食事、寝床、薬など、どんな財施を頂いても、それに執着してはいけません。
こうした執着をよく観察し、執着から離れる様子も観察する。
そうでありながらも、こういった財施を食すのです。
頂くのです。

はい。

あなたはまだ弟子になって日が浅いですね?

はい。

ならば、親身になって教えてくれる人から、
どうぞ教わってください。
小さな龍のように死ぬほど苦しい想いをしない為にも。

はい!

死ぬほど苦しい想いというのは、せっかく仏道に出会ったにもかかわらず、その教えを捨て、道を見失う事です。
過ちを犯したのに、その過ちを認知できず、過ちを取り除けず、繰り返してしまう。それは死ぬほど苦しい事でしょう。

承知いたしました。
龍のたとえの詩偈うた
お釈迦さんの詩偈:
清き龍は 蓮根洗い これを食う
異族の龍は 泥もあわせて 真似て食う
泥を合わせて 混ぜて食らうに
異族の龍病み 死に至る

これから注意する前に、
この詩偈を詠んだほうがいいんじゃない?

それはいいですね。師匠、ありがとうございました。
補足
原文や動画、仏教用語の説明や関連する仏教知識など、補足として参照できます。
原文
- 雑阿含経巻第39-1083
(一〇八三)如是我聞。一時佛住毘舍離國獼猴池側重閣講堂。時有衆多比丘。晨朝著衣持鉢。入毘舍離乞食。時有年少比丘。出家未久不閑法律。當乞食時不知先後次第餘比丘見已而告之言。汝是年少。出家未久未知法律。莫越莫重。前後失次而行乞食。長夜當得不饒益苦。年少比丘言。諸上座亦復越次。不隨前後。非獨我也。如是再三不能令止。衆多比丘。乞食已還精舍。擧衣鉢洗足已。詣佛所稽首禮足。退坐一面。白佛言。世尊。我等晨朝著衣持鉢。入毘舍離乞食。有一年少比丘。於此法律出家未久。行乞食時不以次第。前後復重。諸比丘等再三諫不受。而作是言。諸上座亦不次第。何故呵我。我等諸比丘三呵不受。故來白世尊。唯願世尊。爲除非法。哀愍故。佛告諸比丘。如空澤中有大湖水。有大龍象而居其中。拔諸藕根。洗去泥土然後食之。食已身體肥悦多力多樂。以是因縁常喜樂住。有異種族象。形體羸小効彼龍象拔其藕根。洗不能淨。合泥土食。食之不消體不肥悦。轉轉羸弱。縁斯致死。或同死苦。如是宿徳比丘學道日久。不樂嬉戲久修梵行。大師所歎。諸餘明智。修梵行者。亦復加歎。是等比丘依止城邑聚落。晨朝著衣持鉢入城乞食。善護身口。善攝諸根專心繋念。能令彼人不信者信。信者不異。若得財利衣被飮食床臥湯藥。不染不著不貪不嗜不迷不逐。見其過患。見其出離。然復食之。食已身心悦澤。得色得力。以是因縁常得安樂。彼年少比丘出家未久。未閑法律。依諸長老依止聚落。著衣持鉢入村乞食。不善護身。不守根門。不專繋念。不能令彼不信者信。信者不變。若得財利衣被飮食臥具湯藥。染著貪逐。不見過患。不見出離。以嗜欲心食。不能令身悦澤安隱快樂。縁斯食故轉向於死。或同死苦。所言死者。謂捨戒還俗失正法正律。同死苦者。謂犯正法律。不識罪相。不知除罪。爾時世尊即説偈言 龍象拔藕根 水洗而食之 異族象効彼 合泥而取食 因雜泥食故 羸病遂至死佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻284頁a段5行-b段19行)
- 国訳一切経阿含部3巻96頁
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托鉢
修行者が町を歩いて、人々から食べ物や供物をいただくこと。



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