風の感覚でたどる、仏教の四諦の教え

風の感覚でたどる 仏教トーク15

雑阿含経巻第17-471」をもとに構成。動画版英語版も順次公開

風が吹くと、誰もが何かを感じます。気持ちよく感じる人もいれば、不快に感じる人もいる。仏教では、このような「風」のようなさまざまな感覚や反応を通して、私たちの心や体がどのように苦や楽を受け取るかを観察します。

このお話は、雑阿含経の一節をもとに、弟子たちとお釈迦さんのやり取りを再現したものです。風のたとえを通して、仏教の「四諦」の教え、特に「受」と「苦諦」の意味を、体感的に考えてみてください。

読むことで、日常のさまざまな出来事や心の反応を、四諦の視点からふと見つめ直すきっかけになればと思います。

風のたとえ

弟子A
弟子A

今日は風が強いね

弟子B
弟子B

この時期、風が強いとなぜか鼻が出るんだよね。異常に……

弟子1
弟子1

花粉症なんじゃない?

弟子2
弟子2

少し暑くなってきた今、私にとっては、この風は心地いいかな。

お釈迦さん
お釈迦さん

風がち、色々な風が、様々な方向から吹いてくる。

弟子1
弟子1

そうですね

さまざまな「受」の風

お釈迦さん
お釈迦さん

私たちの身に受ける「受」の風もまた、同じようなものですね。

弟子A
弟子A

それはどういう意味ですか?

お釈迦さん
お釈迦さん

黄砂のように砂や塵を伴って起こる風もあれば、そのような塵を含まない風もある。そこら辺一体、広範囲に吹く風もあれば、ここだけピンポイントに吹く風もある。

 

はるか上空で吹く風、地上や地下で吹く風、弱く薄い風、強く分厚い風、竜巻や台風、そこから起こる風もありますね。

弟子B
弟子B

はい。実にいろいろな風がありますね。

お釈迦さん
お釈迦さん

色々な風をこの身に受ける。ある者にとって、それは苦の風となる。またある者にとっては、それは楽の風となる。またある者にとっては、苦でもなく・楽でもない風となる。

弟子1
弟子1

確かにそうでうすね。先ほど「風強いね~」と、皆ではなしていましたが、私は話を合わせるだけで、「別に~」って感じでしたから(笑)

弟子2
弟子2

あまり関心がなかったのね(笑)

私にとっては、その風は、心に楽と感じさせるものだったと。

弟子A
弟子A

私には逆に心に苦と感じさせるのものだったということかな。

弟子B
弟子B

私には、身にも心にも苦と感じさせるものだったようですね(笑)

お釈迦さん
お釈迦さん

そのように種々の「受」の風がつ。

弟子2
弟子2

「楽(プラスの反応)」「苦(マイナスの反応)」のように関心を持つか、或いは「不苦不楽(+-の反応無し)」で無関心であるか。

これらの反応が「受」ということですね。

弟子1
弟子1

ふむ。風で言えば、追い風(+)、向かい風(-)みたいなものですかね。

弟子A
弟子A

それに無頓着な風もね(笑)

お釈迦さん
お釈迦さん

これらの風、諸々の「受」をよく観察し、知ることは大事なことです。

弟子2
弟子2

なるほど。風も教えてくれることがたくさんあるのですね。

弟子1
弟子1

ありがとうございます。

お釈迦さんは退席しました

四諦とのつながり

弟子1
弟子1

前回は「火のたとえ」(※1)だったけど、今回は「風のたとえ」だったね。

弟子A
弟子A

以前は「四諦について話しなさい」って何回も

言ってたのに、お釈迦さんは色々な話をするよね(笑)

弟子B
弟子B

だな(笑)

弟子1
弟子1

いやいや、そういう事じゃないんだよ。

弟子2
弟子2

そうだよ。それに今回の話も前回の話も、私には四諦の話にも聞こえたよ。

弟子A
弟子A

へ? どういうこと?

弟子2
弟子2

四諦については以前にも話していたけど、苦諦、集諦、滅諦、道諦。(※2)以上の四つで四諦ってことはいいよね?

弟子A
弟子A

ああ、そう聞いたね。

弟子2
弟子2

で、今回、風の話は、苦諦とも関連していると思うんだよね。

弟子1
弟子1

この世の中には色々な風が起こるように、様々な「苦」の風が起きている。

弟子2
弟子2

そうそう。苦の風が吹いているという事実がある。それが苦しみがあるという事実「苦諦」という意味なのかなって。

 

風の発生を止めることは誰にもできないし、風を無くすことなんてできないよね。

弟子B
弟子B

まぁ、嫌な風は止めたいと思うことはあっても、実際には止められるものじゃないわな。

弟子1
弟子1

それに、嫌な風だけじゃなくて、善い風もあるもんね。さっき言ってた、追い風、向かい風のように。

弟子A
弟子A

無頓着な風もな(笑)

弟子2
弟子2

うん。風を無くすことはできないように、苦を無くすことはできない。風は生じるものだから。苦は生じるものだから。

弟子1
弟子1

それが「苦諦」、苦があるってことか。

弟子A
弟子A

だから、楽もあるってことも言えるわけね。

弟子2
弟子2

追い風、向かい風、色々な風を ”受” けて、私たちは種々の ”受” の反応を起こすというわけ。

弟子B
弟子B

ふむ。そう考えると、四諦の話ともつながっているというわけか。

煩悩の炎とそのはたらき

弟子2
弟子2

さらに言えば、前回の「火のたとえ」も用いると、「受」の反応を火に見立てると面白いかなって思う。

弟子1
弟子1

色々な風を受けて、私達(火)が反応する。炎が揺らめいて、ある時は消えそうになったり、ある時は煽られて、勢いが強くなったり。

弟子2
弟子2

そうそう。煩悩の炎っていうけど、例えば、欲望だって、無くなったら生きていけないわけじゃない。食欲とか、睡眠欲とか、それも欲望でしょう。

弟子A
弟子A

だな。食べたい、飲みたい、眠りたい。これらは全部欲望といわれるが、さっきの風みたいに、全部が全部、悪いように働いているわけじゃないもんな。

弟子2
弟子2

食べる、飲む、寝るは、生きていく上で欠かせないわけだし、知りたい、善くしたいなんて向上心と呼ばれるものも、ある種の欲望でしょ。

弟子B
弟子B

私は、遊びたい、怠けたいとかの欲望が強いかもしれんが。

弟子1
弟子1

それだって、いつも気が張っていては、無理がきてしまうし、怠けるまではいかなくても、休んだり遊んだり、リラックス(気を緩める)ことは、大事なことでしょう。

弟子2
弟子2

そうだね。もちろん、休みすぎて、怠けちゃいけないけど。

そういや、これも、アヌルッダさんに、お釈迦さんししょうが言ってたな。(※3

弟子1
弟子1

ふむ。とりあえず、私達には、煩悩があるけど、それは、「火」みたいなものということだね。

弟子2
弟子2

そうそう。そして、その「煩悩の火・炎がある」ってことが「集諦」ということだと思う。

弟子B
弟子B

つまり、その煩悩も無くならないってことか。

弟子A
弟子A

じゃぁ、煩悩があってもいいんだね。

弟子2
弟子2

煩悩があるというのは事実だけど、「煩悩があってもいいんだね(そのままでいいんだね)」って話ではないよ。

弟子A
弟子A

というと?

弟子2
弟子2

私達の煩悩の炎は、様々な苦の風によって、反応する。時には、風に煽られて大きくなる。時には、風に吹かれて、消えそうになる。

例えば、消えたらどうなる?

弟子B
弟子B

煩悩がなくなる。

弟子2
弟子2

食べたい、飲みたい、知りたい、とか、そんな想いも無くなるわけだよ。

 

生きたいという意欲も。

弟子A
弟子A

ああ、そういうことか。

弟子1
弟子1

よく、命を喩える時、ろうそくの炎に例えられるイメージがあるけど、それと似たようなものかな。

ろうそくの炎が消えた瞬間、命の灯も消える。

弟子2
弟子2

そう。弱弱しくなる、消えてしまいそうになる。それも困る。

反対に、風に煽られて大きくなるとどうなる?

弟子1
弟子1

炎が大きくなったら、怖いよね。場合によっては、火事になる。

自分も燃えるし、他の人をも巻き込んでしまうね。

弟子A
弟子A

「いやぁ、今日は疲れたから、何か憂さ晴らししたいな」って気分か。

弟子B
弟子B

「酒飲むか!」「豪遊するか!」「あれもするか、これもするか!」ってどんどんエスカレートして、最終的には……。

弟子1
弟子1

そうか。欲望ってどんどんエスカレートしていくし、炎が大きくなれば、なるほど、周りを巻き込むケースが増えていってしまうね。

「滅」とは何か

弟子2
弟子2

そう。つまり、煩悩の炎は、消えても困るけど、大きくなっても困るわけよ。

じゃぁどうするか?

弟子1
弟子1

例えば、ろうそくの炎が消えそうな時は、手をかざすね。

弟子A
弟子A

周りをぐるっと囲めば、いくら炎が大きくても、延焼は防げるんじゃねえ?

弟子B
弟子B

炎が大きくなったら、その分囲むの大変でしょう。大きくなる前に囲んだ方がいいでしょ。

弟子1
弟子1

ああ、暖炉やストーブのイメージか。

弟子2
弟子2

そうだね。そうして、通風孔があれば、炎が小さければ、風を多く入れて、炎を強くできるし、逆に炎が大きれば、風を少なくして、炎を弱めることもできる。

 

そうやって「囲む」ことが「滅諦」ってことだと思う。

弟子A
弟子A

「滅諦」って、滅する。つまり無くすことじゃないの?

弟子2
弟子2

滅って「無くす」というよりは、むしろ「変化」って意味で使うことが多いかな。(※4

弟子2
弟子2

それに、四諦に関して言えば、「滅は堤防(nirodha)」という意味で使うから、囲むとか、せき止めるってイメージの方がいいと思うんだよね。

四諦をたとえで捉える

弟子1
弟子1

おお。つまり、苦諦は風のイメージ、集諦は火・炎のイメージ、滅諦は壁のイメージってことか。

弟子2
弟子2

そうそう、壁や堤防などで囲うことによって、調節できる環境が調うってことかな。

弟子B
弟子B

なるほどな。だから、「煩悩があってもいいんだね(そのままでいいんだね)って話ではない」ってことなのか。

弟子2
弟子2

で、最後の道諦というのが、その壁や堤防で囲う、あるいは炎を調節するといった、その実践・道というわけ。

弟子1
弟子1

全部、自然のイメージで考えると面白いね。

弟子2
弟子2

以上、色んな話をしてきたけど、全部、四諦の話とつながっているんだよね。

弟子A
弟子A

なるほどな。別々の話でも、どこか通じているところがあるということか。

弟子1
弟子1

逆に通じている所がしっかりしていないと、全部の話がバラバラになってしまって、一つ一つの理解が、浅くなってしまいそうだね。

弟子B
弟子B

「四諦について話しなさい」っていうのは、「四諦の教えだけ考えておけばいい、余計なことは考えるな」ってことではないってことか。

弟子1
弟子1

それを余計なことにするか、はたまた、補い助け合うものにするか。

 

私達は、同じものに向き合って、同じように知っているのに、こういう違いが出てくるんだね……。

補足

原文や動画版、英語版、仏教用語の説明や関連する仏教知識など、補足として参照できます。

動画版

原文

  • 雑阿含経巻第17-471
(四七一)如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。爾時世尊告諸比丘。譬如空中狂風卒起從四方來。有塵土風。無塵土風。毘濕波風。鞞嵐婆風薄風。厚風乃至風輪起風。身中受風。亦復如是。種種受起樂受苦受不苦不樂受。樂身受苦身受不苦不樂身受。樂心受苦心受不苦不樂心受。樂食受苦食受不苦不樂食受。樂無食苦無食不苦不樂無食受。樂貪受苦貪受不苦不樂貪受。樂出要受。苦出要受。不樂不苦出要受。爾時世尊。即説偈言 譬如虚空中 種種狂風起 東西南北風 四維亦如是 有塵及無塵 乃至風輪起 如是此身中 諸受起亦然 若樂若苦受 及不苦不樂 有食與無食 貪著不貪著 比丘勤方便 正智不傾動 於此一切受 黠慧能了知 了知諸受故 現法盡諸漏 身死不墮數 永處般涅槃佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻120頁b段15行-c段7行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

  • 国訳一切経阿含部2巻65頁

英語版

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