雑阿含経

仏教トーク

答えを探すより、まず向き合うこと──お釈迦さんの言う「正しく見る」とは

八正道の「正見」には二種類あるとお釈迦さんは言います。正解を目指すのか、苦という問題に向き合うのか。雑阿含経の対話をもとに、その違いを考えます。
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善き知識・善き友達

善き友がいるということは、修行の半ばではなく、その全て——。雑阿含経をもとに、お釈迦さんとアーナンダの対話をチャット形式で読む。善知識とは何かを問い直す一篇。
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なぜ同じ師が、人によって教え方を変えるのか——乳母のたとえ

「私にばかり小言を言う」——弟子の不満にお釈迦さんが語ったのは、乳母と赤ん坊のたとえでした。手をかけること、手放すこと。その先に何があるのか。
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罠にかかった猿のたとえ

片手が罠にかかると、外そうとしたもう片方の手も捕まってしまう。お釈迦さんはこの猿のたとえで、縄もないのに自らを縛る「無縄自縛」の状態を語ります。雑阿含経のたとえ話を会話形式で。
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棒の上で自分を護ることは、相手を護ることでもある――曲芸師のたとえ話

師匠の肩の上で棒のてっぺんに乗る曲芸。自分を護ることに必死だった弟子に、師匠はこう言います。「それで良い」と。雑阿含経のたとえ話から、護るということの意味をたどります。
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お釈迦さんに「大丈夫」の意味を聞いてみた

普段何気なく使う「大丈夫」という言葉、実は仏教由来とも言われています。古い経典ではどのように記されているのか。お釈迦さんと弟子の対話形式でたどります。
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黒い牛は白い牛を繋いでいるか|シッタラ(質多羅)長者のたとえ話

眼が先か、色や形が先か。弟子たちが食堂で議論していると、シッタラ長者が通りかかります。「黒い牛と白い牛が互いに繋がれているとしたら、どちらがどちらを繋いでいるのか」——長者のたとえ話が、問いの構造そのものをひっくり返します。
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