争論

法の種

無記とは何か——お釈迦さんが「答えなかった」理由を考える

知識は使い方次第で争いの種になる——お釈迦さんが無記を選んだ背景には、そんな洞察があったのではないか。仏教トークのあとがきとして書いた、無記をめぐる考察です。
仏教トーク

兵士と信者の言い争い|受は二つか、三つか、それとも——

「受(じゅ)は三つ」「いや二つだ」と言い争う兵士と信者が、お釈迦さんに直訴します。お釈迦さんの答えは一つでも、無量でも——。雑阿含経第485経をもとにした会話形式の仏教解説です。
仏教トーク

すべては燃えている|煩悩の火をお釈迦さんの対話から考える

弟子たちの言い争いを通して、お釈迦さんが説く「一切は燃えている」の意味に触れます。眼・耳・心、日常に潜む煩悩の火に気づきながら、そのやり取りをたどります。
仏教トーク

無益な争論4|弟子たちの食べ物談義~豪華か質素か、その結末は?

弟子たちの「今日の食事」の話が白熱するも、お釈迦さまはその議論が仏法の理解に何の利益ももたらさないことを諭します。
仏教トーク

無益な争論3|知識の多さを競い合う弟子たち

「四諦」の話から始まった弟子たちの会話は、いつしか知識の多さを競う言い争いへと変わっていきます。その様子を見たお釈迦さんは、仏法を理解する上で利益のない議論だとたしなめます。雑阿含経に残る一場面をもとにした仏教トークです。
仏教トーク

無益な争論2|王の強さをめぐる弟子たちの議論から学ぶ、お釈迦さんの教え

コーサラ国とマガダ国の王、どちらが強いのか――弟子たちの議論に対し、お釈迦さんは無益な争論の意味を問いかけます。議論の行き違いから学べる仏教の気づきを紹介。
仏教トーク

無益な争論|世界は無限か有限か、命や魂はあるのか

弟子たちが「世界は無限か有限か」「命や魂はあるのか」と議論します。お釈迦さんはその議論をどう見たのか。無益な争論のやり取りから学びを考える記事です。
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