下の写真に写っている塔婆。
木でできている、板状になっている、そして、そこには文字が書かれています。
例えば、法事やお墓参りなど、仏教の行事に参加する時に、何かと触れる機会があるのではないでしょうか。
さて、この塔婆について、よく質問を頂きます。特に多いのは、「法事や施食で頂いた塔婆は、その後どうしたらいいのでしょう?」という質問です。
ということで、今回は、この質問に応えると同時に、塔婆の歴史や意味にも触れることとしましょう。
塔婆の語源
塔婆は、卒塔婆とも言われます。これはサンスクリット語の”Stūpa”(以下、ストゥーパ)がその語源となっています。
サンスクリット語は、古代インドの言葉であり、また、仏教の多くの経典がこの言葉で書かれています。(もう一つ、パーリ語もあります)
ストゥーパが音写され、漢字では、卒塔婆(そとぅば)と書かれるようになりました。
ストゥーパの歴史
古代インドでは、土饅頭型に盛り上げたお墓や塚がありました。
当時はそれを、ストゥーパと呼んでいました。
しかし、お釈迦さんが亡くなった後、仏教においてストゥーパは、また違う意味を持ち始めました。
お釈迦さんの遺骨を祀る舎利塔
お釈迦さん亡き後、残された者の中で考えなければならないことがありました。
それが「お釈迦さんの亡骸についてどうしたらいいのか?」ということです。
お釈迦さんの死を聞いて、お釈迦さんを慕う国の王、あるいは部族、宗教者やそれらのつかいの者がやってきました。
「私たちも、お釈迦さんの舎利(遺骨)を祀る塔を建てて、供養したい!」
そして、火葬され残った遺骨を巡り、言い争いとなったそうです。
しかし、お釈迦さんの教えやその意志を汲むと、そのことで争いを起こす事はふさわしくありません。そこで協議の末、お釈迦さんの骨は、そこに集まった人達の代表、それぞれ8つに分けられることとなりました。
また、最後に遅れてやってきた者(モーリヤ族のつかい)は、遺骨がないので、灰を持っていきました。
この時の様子は、大般涅槃経や遊行経といった古い経典の中に記されています。(またいずれ、仏教エピソードとしてご紹介できればいいですね)
ちなみに、お釈迦さんは弟子に対して「亡くなった後のことは、世間の人々にまかせておきなさい」との言葉を残していたそうです。(原始仏教に関する仏教書の中で読んだと記憶しています。どの本かは忘れてしまいました……)
少なくとも、遺骨を8つに分ける様子が描かれている経典の中では、弟子は登場しません。
兎にも角にも、遺骨や灰が分けられ、それぞれ、遺骨を祀った塔、舎利塔が建立されました。
お釈迦さんの遺骨を祀る最初の舎利塔が、どんな姿をしていたのかは、今だ仏教学の研究においても明らかになっていません。
しかし、この舎利塔こそが、仏教におけるストゥーパの始まりです。
礼拝対象となった仏塔
その後、お釈迦さんの遺骨を祀る舎利塔は、多くの仏教徒にとって、礼拝の対象となりました。
お釈迦さんが亡くなって、200年余りが過ぎた頃。アショーカ王がインドを支配した時代には、上記の8塔の内7つの塔を開いて、仏舎利をさらに分配し、全部で8万4千の塔を建てたと言われています。
このアショーカ王とは、仏教に帰依し、仏教広めるのに多大な貢献をしたことで有名なインドの王様です。
お釈迦さんの遺骨のみならず、その他、有名な弟子など、その所持品や遺骨・遺髪などを埋めて記念を標示した塔、仏塔がたくさん建てられました。
どうやらこの頃になると、煉瓦の塔が建築されていたそうです。
寺院の建築物となった塔
中国や日本では、塔は、寺院の建築物の一つとして取り入れられました。
私たちが古都の寺院の風景として思い浮かべる三重の塔、五重の塔などは、インドの仏塔が由来となっています。
ただし、日本のこれらの塔が、必ずしも舎利(遺骨)が祀られているというわけではありません。
経蔵(お経を納める蔵)など、他の用途を担う塔として建てられているケースもあります。
五輪塔
一方、舎利塔としての意味合いがあるものの中に、五輪塔があります。
石や銅などで、五輪の形どった、方、円、三角、半月、宝珠の形を作り、その表面に、地、水、火、風、空を表す種子(梵字)が刻んで造った塔。
もとは大日法身の形相をあらわし、舎利を納めたものであるが、後に墓標となった。
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この五輪塔は、元々は舎利塔・仏塔ではあったものの、その後一般的な墓標としても用いられるようになりました。
板塔婆
現在、私たちが知る塔婆(ストゥーパ)の上の部分がこのような形になったのは、上記の五輪塔が変化したものと言われています。
おそらく、こうして梵字を書くのも、その名残もあるのでしょう。
日本では今こうして、死者の供養の為に建てられる板塔婆という形になっています。
「法事や施食で頂いた塔婆は、その後どうしたらいいのでしょう?」の応えにもなるのですが、この板塔婆は、お墓に持っていき、そこにたて掛けます。
もともと、ストゥーパがお墓の意味であった事。
またストゥーパが遺骨を埋めたことを標す舎利塔である事。
また多くの仏教徒がその舎利塔・仏塔を礼拝していた事。
日本では、その舎利塔・仏塔が五輪塔となり、また一般的なお墓としても用いられたこと。
そして、現在の板塔婆がある事。
その歴史を考えると、自ずと、お墓に持っていく理由も見えてくるのではないでしょうか。
追記
「お墓にたてかけた後はどうしたらいいか?」という質問も頂きました。
昔は、お墓の管理者が、定期的に塔婆を集めたり、古くなった塔婆を集める場所を設けたりして、お焚き上げ等していましたが、最近はそういう所も少なくなってきたようです。
荒村寺では、年間行事の際に、古くなった塔婆を持って来て頂き、後にお焚き上げもしています。そのような法要等での参拝時にお持ちください。
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