もっと楽しいことがあるのに──楽しむとは、どういうことか

仏教トーク53 楽しむとはどういうことか

「雑阿含経巻第39-1099」をもとに構成

「もっと楽しいことがあるのに、どうしてそんなことをしているのか?」

お袈裟を縫う弟子達に、一人の老人がそう問いかけます。満足を得ることこそが人間の最大の楽しみではないのか、と。

楽しむとはどういうことか。この問いに、あなたはどう答えますか。

お袈裟を縫う弟子達と老人の問答

ある日、弟子達はお袈裟を縫っていました。そこへ一人の老人がやってきました。 老人はしばらく黙ったまま、弟子達の前に立っていました。

弟子達は気にせず縫い続けていましたが、しばらくして老人は話し始めました。

他の修行者1
他の修行者1

こんにちは。皆さんはここで何をしているんですか?

弟子1
弟子1

こんにちは。私達は、今、お袈裟を縫っているところです。

他の修行者1
他の修行者1

ほう、お袈裟ですか?

弟子2
弟子2

はい。端的に言えば、私達、僧侶のユニフォームですね。

他の修行者1
他の修行者1

しかし、もったいないですな。活気ある若者が……

弟子1
弟子1

この布も使えるところはあります。もったいないですから。

他の修行者1
他の修行者1

いや、そういう意味ではなく……。何て無駄なことを……。
活気ある若者が、そんなみみっちい事をして。
もっと家の為に、一族の為に働くべきではないですか?

弟子2
弟子2

私達はお釈迦さんの弟子となりました。家を出て、身分も捨てて、師の下で学んでいるのです。

他の修行者1
他の修行者1

親と離れ、一族に背いたのか?
そんなんじゃ、親が泣きますよ?
あなたも寂しいのではないか?

弟子1
弟子1

いや、親にも納得してもらって、師匠の下で学んでいるのです。

弟子2
弟子2

そもそも、私は親を離れて自立したいと思って……。

他の修行者1
他の修行者1

親を捨てて自立ですか……? そして自立するために、そのボロ布を縫っていると?

弟子2
弟子2

私はこれを「欲におぼれないという事を身を以て知る」よい経験だと思っています。

満足させることが楽しみではないのか

他の修行者1
他の修行者1

欲ねぇ? それこそもったいない。あなた達は若いのだから、もっと遊んだほうがいい。世の中には若者を満足させる楽しいことがたくさんあります。
あなた達は、今その楽しみを捨てている。その先に何か報われることがあるとでも思っているのですか?

弟子1
弟子1

私達は別に、今の楽しみを捨てているわけではありません。それに、その先に何か報われることがあるからやっているというわけではありません。

弟子2
弟子2

そうです。むしろ、私達は、今を楽しんでいます。報われるからとか、報われないからとか、そんな理由で行っているわけではありません。

他の修行者1
他の修行者1

はぁ……、理解できんな。そもそも、古いボロ布と新しいきれいな布なら、新しいきれいな布を選ぶでしょう。

弟子1
弟子1

古着と新品を選ぶとしても、それは選ぶ人の価値観で変わるものでしょう?

弟子2
弟子2

だから私達も今を楽しんでいます。

他の修行者1
他の修行者1

何が楽しいのか、意味がわからん。世の中にはもっと楽しいことがあるのに、どうして?
その先にもっと良いことがあると確約されているのならまだしも……。

弟子1
弟子1

その先にもっと楽しいことがあると確約はありませんよ。むしろ、私達の師匠は、そういうふうに「その先にあなたに絶対良いことがあるから、今は苦しみなさい」という考え方を説きません。

他の修行者1
他の修行者1

じゃあ、あなた達は何のためにやっているんですか?

弟子2
弟子2

だから、私達は今を楽しんでいると言っているではないですか。

弟子1
弟子1

ご老人は何かを得ないと気が済まないのですか?

他の修行者1
他の修行者1

私は、あなた達の答えが欲しいだけなんですがね。

弟子1
弟子1

あなたが欲しい答えがもらえずに悶々としているだけなんじゃないでしょうか。

弟子2
弟子2

まずは、そういう考えから離れた方が良いと思います。

どうして、その答えが欲しいと思うのか、よく観察してみてください。

弟子1
弟子1

そういう自己を見つめる所から気づくこともあるんです。

他の修行者1
他の修行者1

はぁ~……。

弟子2
弟子2

そうしたら、私達の「今を楽しんでいる」意味が、少しでも伝わるかもしれません。

弟子1
弟子1

そうです、もしよかったら……ってあれ? いない。

弟子達は、お袈裟を縫いながら話していたこともあり、老人の方をあまり見ないで話していました。そのせいで、いつの間にか老人がいなくなっていたことに、ようやく気づきました。

ただその満足感だけが楽しいもの──それは思い込み

後日、弟子達は、お釈迦さんにその時の出来事を話しました。それを聞いてお釈迦さんはこう答えました。

お釈迦さん
お釈迦さん

苦しみ、そしてその苦しみが生まれるのは何故か?

 

その様子をきちんと観察する人は、ただ欲望のままに随って動こうとは思わないでしょう。

 

「欲のままに動き、ただその満足感だけが楽しいもの」というのは、単なる思い込みだと知るならば、まさに「調える」ということを学びなさい。

弟子2
弟子2

やっぱり「欲のままに動き、ただその満足感だけが楽しいもの」というのは、単なる思い込みですよね?

弟子1
弟子1

ご老人も、世の中にはもっと楽しいことがあるからって、ずっと言ってたよね。なんか、しきりに誘惑してくるなとは思ったけど(笑)

弟子2
弟子2

いや、案外、そういう誘惑は悪魔なのかもしれないね……。

補足

原文や動画、仏教用語の説明や関連する仏教知識など、補足として参照できます。

原文

  • 雑阿含経巻第39-1099

(一〇九九)如是我聞。一時佛住釋氏石主釋氏聚落。時有衆多比丘集供養堂。爲作衣事。時魔波旬作是念。今沙門瞿曇住於釋氏石主釋氏聚落。衆多比丘集供養堂。爲作衣故。我今當往爲作留難。化作少壯婆羅門像。作大縈髮。著獸皮衣。手執曲杖詣供養堂。於衆多比丘前默然而住。須臾語諸比丘言。汝等年少出家。膚白髮黒年在盛時。應受五欲莊嚴自娯。如何違親背族。悉泣別離。信於非家。出家學道。何爲捨現世樂。而求他世非時之樂。諸比丘語婆羅門。我不捨現世樂求他世非時之樂。乃是捨非時樂。就現世樂。波旬復問。云何捨非時樂。就現世樂。比丘答言。如世尊説。他世樂少味多苦少利多患。世尊説現世樂者。離諸熾然。不待時節能自通達。於此觀察縁自覺知。婆羅門是名現世樂。時婆羅門三反掉頭瘖瘂。以杖築地即沒不現時諸比丘即生恐怖。身毛皆竪。此是何等婆羅門像。來此作變。即詣佛所稽首禮足退坐一面。白佛言。世尊。我等衆多比丘集供養堂。爲作衣故。有一盛壯婆羅門。縈髮大髻。來詣我所。作是言。汝等年少出家。如上廣説。乃至三反掉頭瘖瘂。以杖築地即沒不現。我等即生恐怖。身毛皆竪。是何婆羅門像來作此變。佛告諸比丘。此非婆羅門。是魔波旬來至汝所。欲作嬈亂。爾時世尊即説偈言 凡生諸苦惱 皆由於愛欲 *知世皆劍刺 何人樂於欲 覺世間有餘 皆悉爲劍刺 是故黠慧者 當勤自調伏 巨積眞金聚 猶如雪山王 一人受用者 意猶不知足 是故黠慧者 當修平等觀佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
(大正No.99, 2巻289頁a段8行-b段14行)

SAT大正新脩大藏經テキストデータベースより

  • 国訳一切経阿含部3巻113頁

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