
悟った人が、なぜ死んだように眠るのか、と。
悪魔の問い──「悟った人が、なぜ死んだように眠るの?」

ん……、目が冴えて眠れないですね……。
少し歩いてきましょうか。
お釈迦さんは、外に出て、その辺りを少し歩きましたが、全く眠くなりませんでした。

とりあえず、足を洗いますか。
気分転換に、色々しましたが、それでも眠たくなりません。

いいかげん、横になりましょうか。
しかし、横になっても眠れないものは眠れませんでした。

横になっても眠たくならないですね。
もう起きた方がいいでしょうか。
その時、お釈迦さんの前に一人の少年が現れました。

おっちゃん。なんで寝るの?
どうして眠るの?
なぜ、死んだみたいに眠るの?

人間には、睡眠が必要だからですよ。

おっちゃん。悟りを開いたんでしょ?
真夜中に明るい日の光が照らすような、そんな悟りの境地に至ったのでしょう?

そんな日の出を経験したおっちゃんが、死んだように眠る必要はないでしょう?

むしろ、目が覚めて大事なことに気づいたからこそ、私は安眠するのですよ。

さすが、悟った人は言う事が違うね。

いや、ですから————
お釈迦さんの目覚め──自分の心を知っている人のそばに、悪魔は居られない
お釈迦さんは、目を覚めましました。
どうやらいつの間にか眠っていて、夢を見ていたようです。

我ながら、夢の中でも問答していたようですね。
それにしても、あの少年の言葉は、まるで悪魔のささやきのようでしたね……。

しかし、こんな変な夢を見るなんて。
いやいや、我ながら恥ずかしい・・・・・・、反省、反省。
でも私は悪魔の言う通りの所とは、一緒になりませんよ。
そういった自らの心に恥じることを知っているお釈迦さん。
もし本当に悪魔がいたとしたら——「お釈迦様は、きちんと自己と向き合い、自分の心をよく知っている」と、黙って立ち去るほかなかったでしょう。
この姿勢そのものが、自然と悪魔が去る姿勢なのかもしれません。
補足
原文や動画、仏教用語の説明や関連する仏教知識など、補足として参照できます。
原文
- 雑阿含経巻第39-1089
(一〇八九)如是我聞。一時佛住王舍城耆闍崛山中。爾時世尊夜起經行。至後夜時洗足入房。正身端坐繋念在前。時魔波旬作是念。今沙門瞿曇住王舍城耆闍崛山中。夜起經行。後夜入房。正身端坐繋念在前。我今當往爲作留難。即化作大龍遶佛身七匝。擧頭臨佛頂上。身如大船。頭如大帆。眼如銅鑪。舌如曳電。出息入息若雷雹聲。爾時世尊作是念。惡魔波旬欲作嬈亂。即説偈言 猶如空舍宅 牟尼心虚寂 於中而旋轉 佛身亦如是 無量凶惡龍 蚊虻蠅蚤等 普集食其身 不能動毛髮 破裂於虚空 傾覆於大地 一切衆生類 悉來作恐怖 刀矛槍利箭 悉來害佛身 如是諸暴害 不能傷一毛時魔波旬作是念。沙門瞿曇已知我心。内懷憂慼即沒不現
(大正No.99, 2巻285頁b段16行-c段5行)
- 国訳一切経阿含部3巻100頁


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