【日誌】坐禅会6月3日(眼蔵講話「現成公案5」)

6月3日の坐禅会後に、「正法眼蔵現成公案」を読み、法話しました。

今回読んだ部分はこちらです。

人(ひと)のさとりをうる、水(みず)に月(つき)のやどるがごとし。月(つき)ぬれず、水(みず)やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸(しゃくすん)の水(みず)にやどり、全(ぜん)月(げつ)も弥(み)天(てん)も、くさの露(つゆ)にもやどり、一(いっ)滴(てい)の水(みず)にもやどる。さとりの人(ひと)をやぶらざる事(こと)、月(つき)の水(みず)をうがたざるがごとし。人のさとりを罣礙(けいげ)せざること、滴(てき)露(ろ)の天(てん)月(げつ)を罣礙(けいげ)せざるがごとし。ふかきことは、たかき分量(ぶんりょう)なるべし。時節(じせつ)の長短(ちょうたん)は、大(だい)水(すい)小(しょう)水(すい)を撿(けん)点(てん)し、天(てん)月(げつ)の広狭(こうきょう)を辦取(はんしゅ)すべし。

この部分は、現成公案の中でも、私がとても好きな所です。

人(ひと)のさとりをうる、水(みず)に月(つき)のやどるがごとし。

月と水は、仏法を語る上で、よくたとえ話として取り上げられます。

月のたとえで思い出すのが、まず月指のたとえです。

月を指す指|お経や仏教書を読む時に注意している事があれば教えてください。
月をさす指。これは、私がお経や仏教書を読む時に特に注意している所です。

そして、月と水でいえば、アメリカでの出来事を思い出します。

どんな水にも月は宿る:仏教を理解する
だから、まずは自分をしっかりと見つめて、月の明かりに気づいてほしい。水のあり方を観てほしい。

そして、智慧如海、仏法の智慧は海の如く、ともいう。

ザルの知識、大海の智慧
そもそも、海はすくい取ることのできるものでもないのでしょう。ならばそのザルは邪魔なのかといえば、そうではないのかもしれません。むしろ、ザルがあるからこそ、その小さなザルで、大海のありようを感じられるのかもしれません。

このあたりの話の絡めて今日はお話させていただきました。

正法現蔵について話したいと思い立ち、坐禅会後の時間をつかって話すようになってから、もう何度目かになります。

初めの内は、「禅の書物の解説は、なんだか漫才が終わった後にどこがおもしろいか、一生懸命、解説しているような気分になってしまいました」

経典宗典講話会はじめてみて
経典宗典講話会をはじめてみて(2023年9月6日)2022年の9月頃よりはじめた講話会。最古群の仏教経典(以下、経典)と曹洞宗典よばれる禅の書物(以下、宗典)についてお話しています。なんだかんだで、も...

ですが、今では、ようやく、自分が何を伝えたいかが、伝えたい事が言葉にできるようになってきました。

他の人に伝えようとする中で、おかげさまで、より自分の理解が深まっていく、そんな充実した時間となってきています。

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