6月3日の坐禅会後に、「正法眼蔵現成公案」を読み、法話しました。
今回読んだ部分はこちらです。
人(ひと)のさとりをうる、水(みず)に月(つき)のやどるがごとし。月(つき)ぬれず、水(みず)やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸(しゃくすん)の水(みず)にやどり、全(ぜん)月(げつ)も弥(み)天(てん)も、くさの露(つゆ)にもやどり、一(いっ)滴(てい)の水(みず)にもやどる。さとりの人(ひと)をやぶらざる事(こと)、月(つき)の水(みず)をうがたざるがごとし。人のさとりを罣礙(けいげ)せざること、滴(てき)露(ろ)の天(てん)月(げつ)を罣礙(けいげ)せざるがごとし。ふかきことは、たかき分量(ぶんりょう)なるべし。時節(じせつ)の長短(ちょうたん)は、大(だい)水(すい)小(しょう)水(すい)を撿(けん)点(てん)し、天(てん)月(げつ)の広狭(こうきょう)を辦取(はんしゅ)すべし。
この部分は、現成公案の中でも、私がとても好きな所です。
人(ひと)のさとりをうる、水(みず)に月(つき)のやどるがごとし。
月と水は、仏法を語る上で、よくたとえ話として取り上げられます。
月のたとえで思い出すのが、まず月指のたとえです。

そして、月と水でいえば、アメリカでの出来事を思い出します。

そして、智慧如海、仏法の智慧は海の如く、ともいう。

このあたりの話の絡めて今日はお話させていただきました。
正法現蔵について話したいと思い立ち、坐禅会後の時間をつかって話すようになってから、もう何度目かになります。
初めの内は、「禅の書物の解説は、なんだか漫才が終わった後にどこがおもしろいか、一生懸命、解説しているような気分になってしまいました」

ですが、今では、ようやく、自分が何を伝えたいかが、伝えたい事が言葉にできるようになってきました。
他の人に伝えようとする中で、おかげさまで、より自分の理解が深まっていく、そんな充実した時間となってきています。
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