本日は坐禅会でした。
坐禅会後には、いつものように「正法眼蔵現成公案」を読みました。
今回は「諸仏のまさしく諸仏なるときは自己は諸仏なりと覚知することをもちいず~一方を証するときは一方は暗し」の所から、わたしが思い浮かぶことを、お話させていただきました。
まず「色・眼、声・耳、香・鼻、味・舌、触・身、法・意」といった十二処、十八界と言われる仏教の教えについて、プリンターの喩えを使って話させていただきました。
ただ、その話だけだと、こちらの意図とは違い、きれいに印刷ができるプリンターが良くて、できないプリンターは悪いみたいな話と受け取られる場合があります。
そういう良し悪しの話ではないということを軸にお話しをさせていただきました。
仏教エピソードであれば、こちらの話が参考になると思います。

仏教エピソード㉗「賢い兄と愚かな弟」
仏教の智慧は、知恵ではありません。智慧には知恵にない意味が含まれています。知識を詰め込むだけでなく、実践を通して得ていく理解があるからこその智慧。分解すれば彗と心となる慧という字にもそのことが示されています。
また今回話題にした錯視について、ご紹介した本を著者のホームページもありますので、ご紹介します。
北岡明佳の錯視のページ
それと少し話題にした「脳トリック」の番組(プレイリスト)ですが、youtubeに番組の一部だけ紹介されていました。
今回の話につなげるなら、上記のも面白いですね。
番組は、だいたい「GAME→ネタばらし→解説」という構成ですが、youtubeではGameと「簡単なネタばらし」のみだけ公開されていますね。
よろしければご覧ください。
本日はありがとうございました。
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