2月4日は坐禅会でした。
坐禅会後は、正法眼蔵、現成公案を読みました。
今回読んだ部分はこちらです。
諸法(しょほう)の仏法(ぶっぽう)なる時節(じせつ)、すなわち迷(めい)悟(ご)あり、修(しゅ)行(ぎょう)あり、生(しょう)あり死(し)あり、諸(しょ)仏(ぶつ)あり、衆(しゅ)生(じょう)あり。
万法(ばんぽう)ともにわれにあらざる時節(じせつ)、まどいなくさとりなく、諸仏(しょぶつ)なく衆生(しゅじょう)なく、生(しょう)なく滅(めつ)なし。
仏道(ぶつどう)もとより豊倹(ほうけん)より跳(ちょう)出(しゅつ)せるゆゑに、生(しょう)滅(めつ)あり、迷(めい)悟(ご)あり、生仏(しょうぶつ)あり。
しかもかくのごとくなりといえども、華(はな)は愛(あい)惜(じゃく)にちり、草(くさ)は棄(き)嫌(けん)におふるのみなり。
「諸法の仏法なる時節~草は棄嫌にほふるのみなり」までの所を中心に、法話としてお話しました。
私がアメリカの禅センターにいた頃、「who is your teacher?」と問われた時、「Everything is teacher」と答えたことを思い出します。
即答したわけでなく、そう答えるまでには、長い会話がありました。
特別に師事している人はいないなぁと思いながらも、私には多くの師が思い浮かびました。
師事している人はいないのに、たくさんの師がいる。いや、人だけが師ともいえないかな……。
現成公案のこの部分を読むと、そんなやり取りが思い浮かんだので、そんな思い出話と一緒にお話しさせていただきました。

土曜坐禅会
坐禅(座禅)は月に一度、土曜日に開催しています。イス坐禅など、足の組めない方でもお坐り頂けます。
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