ちしょう(智彰)

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雑記

お釈迦さんの幼い頃について語られている数少ない経典|禅僧の「中阿含柔軟経」講話メモ①

お釈迦さんの若い頃について語られている数少ない経典。ここでいう古い経典とはアーガマとニカーヤです。仏の誕生の話として有名な天上天下唯我独尊の話は後世に作られたお経であり、またお釈迦さんの話ではなく元々、毘婆尸仏びばしぶつが誕生した際に説いた事です。
法の種

お釈迦さんの弟子達や周囲の人々(仏教トーク(経典内)の登場人物)

仏教トーク内で出てくる登場人物は実際に経典にいる人物です。(弟子1・2・A・Bは例外で、経典内の比丘・比丘尼の言葉を話す場合や補足説明、著者の代弁など様々な役割を担っています) ここでは、仏教トークの...
動画仏教トーク

【動画】無益な争論4|そのような議論はよしなさい

動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
仏教トーク

欲によって欲を断ず|アーナンダ(阿難)の説法

「出典:雑阿含経巻第21-561」私達は欲に振り回されることがあります。この欲を断ずるにはどうすればいいのでしょうか。アーナンダ(阿難)は答えます。欲を断ずるには欲が必要です。欲が有るだけでは、欲望に振り回されるし、逆に欲を無くしても欲は無くならない。欲が有るから欲は無くなる。矛盾するようでその通り。
法の種

「苦」「楽」を考える|四法印について

仏教において「苦」や「楽」について考える機会は多い。仏教学を学ぶと「一切行苦」など四法印を学ぶ際に必ず「苦」について触れることになる。一切行苦とは「全ては苦である」という意味だ。 しかし私自身は「全ては苦である」という言葉に納得がいかなかった。なぜなら「楽」はあるからだ。全てが苦であるのなら、楽はないということだろう。しかし、そもそもその考え方が間違っている。苦があるのなら、楽はあるのだ。楽があるのなら、苦があるのだ。苦楽は考える上で分けられないのだ。この記事では「苦」「楽」についての思う所をまとめてみた。
仏教学

「いただきます」「ごちそうさま」に込める意味「五観の偈」

「いただきます」「ごちそうさま」そして手を合わせる。食事時の挨拶ですが、皆さんは、どんな意味を込めていますか? 私が、真っ先に思い起こすのは「五観の偈」の一番目の言葉です。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論3|私の方が知っている!

動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
仏教トーク

困ったお爺さんの話|カッチャーナ(迦旃延)の対応

「出典:雑阿含経巻第20-547」ある日「私が一番の年長者なんだから一番偉いんだ!」と、一人の老年修行者がやってきた。お釈迦さんの弟子達であるカッチャーナ(迦旃延)の対応。
禅僧ちしょうの棚

人の心を掬い上げて言葉に記す「ヴァイオレットエヴァーガーデン」

私も自分の心を形にしたくて、ブログや法話など「言葉にする」という事を考える機会も多いため、まずこの作品の印象として残るのが「心と言葉」についてです。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論2|同じ言葉を使っているからって、同じ話をしているとは限らない。

動画+編集後記。各国や王の勢力や財力などの話というと、ジャンルで言えば政治関連の話になるかと思います。私自身も政治関連の情報にまったく触れないかというとそんなことはありません。むしろ、ニュースを観て情報や知識を得たり、関心を持つことは大切なことだと考えています。
仏教トーク

指摘する際の心得、指摘される際の心得|舎利弗(サーリプッタ)と仏陀(お釈迦さん)の会話より

「出典:雑阿含経巻第18-497」大事なことを伝えたい。でも私の伝えたい事を理解しようとしてくれません。世の中の人達は、理解せずに言い争い、互いに否定しあうネタにしてしまう。どんなに素晴らしい教えも道具も、使い方を誤れば本来の意味を見失う。
禅僧ちしょうの棚

読経・木魚についての雑学|経典を自作して学んだ事

お坊さんが読むお経は、いつも同じ……ではありません。その一言をきっかけに、私は自分で読誦経典を作ることにしました。
動画仏教トーク

【動画】無益な争論|無限か有限か、有るか無いか、人ははっきりさせたがる

▽原作「仏教トーク」 編集後記 お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。 そういうのを仏教学では「無記むき」と言います。この教えは、経典の随所で見られます。今回...
動画仏教トーク

【動画】良い医者のたとえ|「四諦」の教えの導入口

①病気(苦しみ)になる。その正体は②病原体(煩悩)。③病原体を無くせば、病気が治る。その④治療法が仏教。このような解釈は確かにわかりやすいです。私も最初はこのように教わりました。だから全然四諦について興味を持てなかったです。このような知識があったところで苦しみを解決できるかと言えば、そんなものは机上の空論です。
仏教トーク

兵士と信者の言い争い|素晴らしい教えでも使い方を違えば本来の意味を失う

「出典:雑阿含経巻第17-485」大事なことを伝えたい。でも私の伝えたい事を理解しようとしてくれません。世の中の人達は、理解せずに言い争い、互いに否定しあうネタにしてしまう。どんなに素晴らしい教えも道具も、使い方を誤れば本来の意味を見失う。
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