3月12日の写経会では、前回に引き続き、中阿含経を解読(解説)しました。
今回は、お釈迦さんの出家~成道までに出会った先生(思想家)とのお話です。
私達人間には、避けられない苦しみがあります。例えば、老い、病気、死。生きていく中でも、大切な人との別れや偶然の事故など、避けられない苦しみがあります。
お釈迦さんは、苦しみを解決したいと決意し、今までの身分を捨てて、家を出る決意をしました。出家です。
よく勘違いされていることが多いのですが、出家して苦行して、そしてその苦行という修行を経てお釈迦さんは悟りを開いたと思われている場合があります。
確かに、お釈迦さんは苦行も実践しましたが、結局、「これはただ苦しいだけ」だと、苦行を捨てました。
それどころか、ただひたすら苦行していたわけではなく、出家後、お釈迦さんは、様々なところで過ごしています。
その中でも、今回、登場してきた二人の先生(思想家)は、お釈迦さんにとって、大切な出会いだったのだろうと思われます。
写経会でお話した十牛図を用いた説明で、ある程度、伝わりましたでしょうか?
ただ、お釈迦さんは、この二人の先生に認可されても、その答えに満足できず、また、苦しみの解決を求め、様々な場所で修行(実践)しました。
古代インドの様々な思想や修行(苦行もその一つですが)を試しましたが、その全てが、お釈迦さんを納得させるものではありませんでした。
スジャータから乳粥をもらうエピソードがありますが、お釈迦さんが身体的にも精神的にもボロボロになった中で、差し伸べられた出来事だったと考えると、そのエピソードから受ける印象もまた違ったものになります。
次回は「菩提樹の下で坐っているお釈迦さん」の所から読んでいきたいと思います。
よろしくお願いします。
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